特許事務員だった私がどうやってフリーライターになったのか?という話

「どうしてライターになったんですか?」

と聞かれることが度々あります。

気づけばライター3年目。最近ではすっかりその肩書きに慣れた私ですが、ライターになる前は、特許事務所に勤めるごく普通の事務員でした。

今回は、そんな私が「なぜ」「なにを足がかりに」「どのようにして」ライターになったのかというお話をしたいと思います。

「なぜ」ライターになったのか?

私はもともと活動的なタイプで、人に会うたびに「事務員って感じじゃない」と言われていました。
自分でも薄々それは感じていましたが、当時の仕事にもそれなりにやりがいを見つけて働いていたし、せっかく積み上げたキャリアを手放すほどの度胸もありませんでした。

しかし働いているうちに、「7年勤めたのに数千円しか昇級していない」という先輩の話を聞いたり、子どもを産んだばかりの先輩が、時短勤務の契約をしているにも関わらず深夜まで働いている状況を目の当たりにしたりして、「このままここに勤めていてもいいのだろうか」という思いを抱くようになりました。

そのとき私は26歳。「つぎに転職するなら全く新しい職種にチャレンジしたい」と思っていた私は、なるべく若いうちに行動を起こしたほうがいいと考え、27歳のうちに転職することを目標に転職活動をスタートしました。

「なにを足がかりに」ライターになったのか?

「未知の領域にチャレンジするには、私は世の中のことを知らなすぎる」そう考えた私は、自分の強みでもある「多様な交友関係」を利用して、彼らひとりひとりに仕事について尋ねてみることにしました。

  • どんな仕事をしているのか
  • 仕事をしていてツラいことは
  • 楽しいと感じるのはどんなとき
  • どんな人が向いているのか
  • どれくらいの収入が得られるのか、など

ざっと100人ぐらいにアンケートしたでしょうか。
いろんな仕事のサンプルが集まりましたが、ピンとくるものは今ひとつ見つかりませんでした。この間、ちょっと名の知れたWeb制作会社の書類審査に受かるも、強い志望理由がないため結局面接で弱気になり、不採用通知をいただいたこともありました。

そんな、転職活動が行き詰まりを迎えていたころのこと。
趣味でやっていた合唱の友人たちと、ステージのあとに近くのラーメン屋に入りました。そのとき隣の席で美味しそうにラーメンをすすっていたのは、ライターである年上の友人。

そこではたと気づいたんです。
「そういえば、この人にまだ仕事の話を聞いてない」と。

ライターっていうと、「昔から文章を書くのが好きな人が、新卒で出版社に入って編集者として経験を積んで、実力と人脈をがっちり固めたあとフリーのライターとして独立」とか、「高い受講料のライター講座に通って、仕事を斡旋してもらって云々」とか、決まりきったルートがあるものだと思っていました。

そのため無意識に「私にはできない」と決めつけていたようで、これまでも近くにいたのに話を聞こうとすらしていなかったのです。しかし、ステージ後の楽しい雰囲気も手伝ったのか、この日はなんとなく軽い気持ちで尋ねてみることができました。

「どうしてライターになったんですか?」

その人から聞いた話は、私の予想したものとは大きく違っていました。

某有名広告会社に新卒で就職した彼が配属されたのは、希望していた制作部ではなく営業部。仕事はとても忙しく、三度のご飯より大好きなワールドカップを見る余裕さえありませんでした。「好きなことができない人生って間違っているのでは?」と悶々とした彼は、考え抜いた結果サッカーライターを目指すことに決め、入社1年目で会社を退職。その後、ライターとして世間に認められるためコンテストに応募。その作品が見事受賞し、受賞会場のスピーチで「仕事ください」と言ったところ最初の仕事の依頼がきたのだそう。そのつながりで以降はトントンと仕事を受けるようになり、夢だった海外サッカーのレポートも担当、現在ではさまざまなジャンルの記事を書いているのだとか。

衝撃を受けた私が「ライターって特別な人しかなれないものだと思ってました」と呟くと「全然そんなことないよ」とひと言。

「私でもなれますかね……?」
と尋ねる私に、その人ははっきりとした声でこう答えました。
「なれるよ!君がなりたいと思うなら最初のきっかけは提供する。でも、ただの憧れでは手を貸せないよ。本気でやりたいなら、まずは仕事をやめてきて!

私が会社に退職の意志を伝えたのは、それから数週間後のことでした。

「どうやって」ライターになったのか

ラーメン屋で師弟の契りを交わしたその人は、約束した通り、私が仕事をやめると最初の仕事をくれました。念のため補足すると、その前に自分のブログを開設し、そこで公開した自作のインタビュー記事には目を通してもらっていました。

それから二本目の仕事をもらい、また今度は別のメディアでライターを募集しているところを紹介してもらったりして、徐々に仕事を増やしていきました。
稼ぎは少ないので、バイトと両立しながら取材をしたり原稿を書いたりする毎日でした(これが結構キツかった)。

そんな、いくつか実績ができてきたある日のこと。
とある集まりの場で自分がフリーライターであることを明かすと、その場にいた人から「自分はメディアの編集者なんです。興味あれば書いてくれませんか」と言われました。そして、その日からさほど離れていないまた別の日に、別の集まりで同じようなことが起こったのです。

この連続した2つの依頼が、初めて自分で「仕事を受注する」という経験でした。

「これがフリーランスの営業なのか」
と気づいた私は、新しい場所に足を運んでは、自分がフリーのライターであること、どんなことを得意としていて何を書いてきたかという話を積極的に話していきました。
興味のあるイベントに行くのはもちろん、ライターや編集者の集まる勉強会に参加したり、流行りの転職サービス「Wantedly」を利用して、ライターを募集している企業に積極的に会いにいき、面白そうな会社と関わったりもしました。

そのときポイントとしたのは、「能動的に人と話すことができる場かどうか」
ただ受動的にイベントに参加しても他の人と話すチャンスはほとんどないので、スタッフとして参加したり、参加者同士の交流があるイベントをメインに参加していました。

そうこうしているうちに、幾人かのメディア運営者さんや編集者さんに出会い、仕事をいただくようになりました。デビューから1年半はバイトを続けていましたが、最近ではフリーの仕事一本でなんとかやっていけるようになっています。

ライターになるまでの道のりは人それぞれ

これが、私が堂々と「ライターです」。と名乗れるようになるまでの道のりです。

周りには、以前の私が想像していたような「ライター養成講座に通ってそこで繋がった縁から仕事を受けている人」や、「大手出版社に長年勤め、そこで築いた縁で仕事をしている」ライターさんももちろんいます。

でもきっと、それぞれが「私はライターです」と名乗れるようになるまでの道のりはさまざま。ひと言にまとめるととても簡単な道のりに聞こえても、その裏にはきっとたくさんの紆余曲折ストーリーが隠れているはずです。

そして、そのジャングルのような未開の道を歩み始めるとわかることがあります。
それは、「フリーライター」という横文字から感じられる「かっこよさ」は幻想である、ということ。
もちろん、ライターでなければ話せない人と話せたり、普段行けない場所に行けたり、自分の力で人生を切り開いている実感ができたりと華やかな面もありますが、意外とやってることは地道で土臭いことばっかりだったりします。

まあもちろん、ビッグネームになったらもっとかっこいいのかもしれないけれど……(笑)

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